2011年9月1日木曜日

「当事者性vsないものねだり論者」という新しい対立軸について思う

「当事者性vsないものねだり論者」という新しい対立軸というのをGoogle+のサークルで教えてもらった。

私も3.11以後、政府の対応を強烈に批判している立場なので、耳が痛いところだ。この対立軸で自分を分析すると、当事者、兼、モンスターピープルという事になるのだろうか?

まず、vs だけで単純に括れるのか?という所、少し違うような気がしています。対立軸が成立しているのは、あくまでネットの中で程度の差はあれ、アクティブに情報に接している層だけに当てはまっているのではないか?と思います。震災地以外でネットをしない人にとっては原発問題なんて、どこふく風。少なくとも私の父に関しては、深刻さがニュースとして伝わっていませんでした。

ひとくちに批判といいますが、批判のムーブメントを起こしているのは、利権を死守せんとする組織がダーティにリークして流しているものが根底にあります。それは、国税局の税務調査など権力機構が知りえたウィークポイントであったり、権威付けされた間接的な情報であったりします。こういうものに対しては、ちゃんと批判をすべきであると考えます。対立軸を打ち立てるような報道や教育が成されている。ここは強烈に問題です。

批判だけでは、何も解決しません。それも事実。だから建設的に考えていきましょうというのも理解できます。理解できるとした上で、相容れない価値観を持った者同士が、どうやって折り合いを付けていくのか?スルー力という表現がされていますが、この1億総共同体社会の圧力は、いかんともし難いものを感じてます。じゃあ、そこで、どうやって圏域を作るのか?ここ、正直、想像がつきません。ひとつ感じるのは、Twitterをしてなくて良かったなって事です。Twitterを通じて鬼退治なんてされた日にゃー、ムカムカきて眠れないだろうし、ストレスで病気になるでしょう。

ま、モンスターピープルと言われようとも、ブログには好きな事を書きたいです。必要なのはスルー力というか、多様な価値観を許容できる力なんでしょうか?しかし、、価値観を許容して、死んだら元も子もありません。冗談抜きで、今は戦時体制なのかもしれません。だから逃げるという選択子だってある。逃げれない当事者にとっては、深刻です。

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