2011年10月5日水曜日

もやもやっと

 なんとなくですが、「当事者性vsないものねだり論者」の云わんとする事がわかった気がした。要するに、お客様感覚が抜けずに、ダダをこねるだけの人が多いのだ。実際に行動を起こさなければならないのだが、そこへの思慮が欠けている。今の時代、経営者感覚が求められる時代なのだが、想像力も無ければ思考も足りないのだ。知者ではあるけども、賢者ではない。まぁ、実際に問題を解決するためには、何か行動を起こさなければならないので、知者から愚者と批判されるかもしれんが・・・。
 焼却灰や下水道の高レベル放射能セシウム137+134は、どこかに破棄しなければならない。原発事故を起こした「ふくいち」近辺にまとめるのが、客観的にみて最も妥当な方法であると思うのだが、福島県民は嫌だと大多数の人が反対しているという。半数はセシウム134だとして、半分の量は無視したとして、半減期30年なので、*万ベクレルの下水汚泥であれば、1/2~10 = 1/1024 すれば、だいたいの人に害が無いレベルまで落ちる。その間、同様に汚染されすぎた土地を除染するのは、並大抵の事ではないし、わざわざ汚染されていない土地に放射能を運ぶのは、経済的に見てもリスク的に見ても、全く非効率きわまる。誰かが、こういう事は、きちんと説明してやらなければならない。
 気に入らないという理由で絡んでくる人は、エネルギーを費やすベクトルが違っているのだ。

 こういう理解をした上で、あえて「当事者性vsないものねだり論者」論は、3割ほど有害だと感じている。まず、みんなの言う事は、間違っているように見えて、案外正しいのである。内田樹先生の「陰謀史観」も、何の事を指して言っているのか、私にはサッパリわからない。これこそ話を単純化しすぎではないか?

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